
こんにちはnbenです。
羽生結弦選手の国民栄誉賞に大きな関心が寄せられていますが
羽生選手の立ち居振る舞いは本当に素晴らしいものがありますね。
その羽生選手の人間形成を語る上で
欠かせない羽生選手の父親羽生秀利さんについて調べてみました。
羽生秀利さんと羽生選手のツーショット写真
引用先:http://www.asahicom.jp/
羽生秀利さんのプロフィール
羽生秀利さんは中学校の教員です。
物腰がとても柔らかく、色白な方です。
教員時代は数学と技術家庭科を担当し、
野球部の顧問として精力的に部活動を指導していたそうです。
羽生秀利さんの影響を受けて羽生選手も野球をやっていたそうです。
それもとても上手だったそうです。
フィギュアスケートであれだけの身体能力を発揮する羽生選手ですから
野球を続けていたら、プロ野球選手になっていたかもしれないですね。
ちなみに、羽生選手の好きな球団は
宮城の東北楽天ゴールデンイーグルスではなく
広島カープなのだそうです。
羽生秀利さんの最近の経歴としては
2014年3月:宮城県石巻市立湊中学校教頭
羽生結弦選手は2014年に
湊中学校をサプライズ訪問し、アイスショーを行っています。
このサプライズ訪問の際に、
羽生秀利さんはTVの取材等に一切出てきませんでした。
子どもが有名になると
マスコミも親を表舞台に
引っ張り出そうとしますし、
それに便乗して
親がでしゃばってメディアに出てくることも
少ないくない時代に
「全ては羽生選手の努力により勝ち得たこと!私たちがしゃしゃり出て話すことはない」
と言い控え目で多くを語らないまさに東北人の気質を持った父親だそうです。
更に、羽生選手の祖母にインタビューをしたところ
「ゆづを育てたのは、両親ですから、私たちは話す立場にありません。
私たち祖父母がいろいろと話したような記事が出てしまったら、
恥ずかしくて生きていけませんよ。」
と羽生秀利さんの義母も本当に謙虚な答えに終止されたそうです。
これも学校の教頭という立場を第一に考え
羽生選手の自主性を重んじた結果だと思います。
本当に立派な人格者であり教育者だと思いました。
2014年4月~2016年3月:宮城県宮城郡利府町立しらかし台中学校教頭
しらかし台中学校の卒業者には、
女子フィギュアスケート2006年トリノオリンピックの
金メダリストの荒川静香さんがいます。
荒川静香さんは、日本女子最初の金メダリストであり
羽生選手は日本男子最初の金メダリスト。
なにか見えない縁というものを感じてしまいますね。
2016年4月~:宮城県多賀城市塩釜市立第三中学校校長
塩釜市立第三中学校は第三小学校と小中一貫教育のモデル学校です。
平成30年の念頭の挨拶では
「平成の時代も30年目となりました。大きな区切り,節目となる年ですね。
平成の時代に生まれたみなさんは30年目の今年,どんな目標を立てましたか。
3学期はまとめの学期,次年度準備の学期です。
一人一人にとって充実した日々に,そして着実なステップアップの日々になるよう
今日から志を新たにスタートしましょう。
様々な場面で活躍することを期待します。」
と全校生徒に話をされたそうです。
“充実した日々に,そして着実なステップアップの日々”の文面は
羽生選手が日ごろ言っている
「毎日出来ることをしっかりおこなう」
という事をまさに言われていると感じますね。
塩竈市立第三中学校
〒985-0831 宮城県多賀城市笠神2丁目1−1
shiogama3-jh.shiogama.ed.jp
羽生秀利さんの教育方針
そんな教育者である羽生秀利さんが
息子である羽生選手にいつも伝えていた事は
「どんなにフィギュアの練習が大変だったとしても、勉強は続けなさい。
将来は一流の選手である前に、一流の社会人になってほしい」
ということだそうです。
ですので、羽生選手は遠征した先でも参考書を持参して、
時間がある時は勉強をしていたそうで
学校の成績も理数系を中心に良い成績を維持していたそうです。
平昌オリンピックでは
外国人の記者の英語の質問に流暢にユーモアを含めて
流暢に答えていましたし、
平昌オリンピックフリーの演技が終了した際には
羽生選手自身の得点を予想して
他の競技者に抜かれないと確信をもち
「勝った!」
とつぶやいていた事もニュースで有名になりましたね。
また、羽生選手が小学校3~4年のころ
フィギュアスケートの伸び悩んだときも
「野球のほうがおカネもかからないし、スケートが嫌なら辞めてもいいんだぞ」
と。
お金の話になって恐縮ですが
フィギュアスケートはお金がかかるスポーツ。
スケートシューズや衣装などの直接的にかかる費用も膨大です。
なんと、一流選手のフィギュアスケートシューズは20万円もかかるそうです。
それも練習によって、半年ほどしか持たずに消耗してしまうそうです。
また、大会毎に変える衣装やコスチュームも
オリジナルのモノを作るデザイン代や選手の体型に合わせた調整代等に
費用があかかるそうです。
更に、一流コーチのレッスン代、遠征費、振り付け代などを
合算するとなんと!2億円に届く費用がかかると言われています。
羽生秀利さんは
中学校の教頭や校長で教員の中では高額給与をもらっていますが
年間での年収は800~1000万ほどと言われています。
そう考えると羽生選手をフィギュアスケートを継続させる
費用面の工面は決して楽ではなかった事がよくわかりますね。
この言葉を受けて羽生選手は真剣に考え
「これからもスケートを続けていきたい」
という考えに至り、フィギュアスケート一本で
頑張ることを決意したのだそうです。
羽生選手も帰国後、このように言っていますね。
引用:http://www.sankei.com/pyeongchang2018/photos/180227/pye1802270030-p2.html
「スケートをやめなかったのは、やれていることが特別だったから。
金銭面でも大変だし、先生方もすごく面倒を見てくれました。
自分の夢で叶ったのは金メダルだけ。
ほかの夢は、たくさん捨ててきました」
と。
小さい羽生選手の自主性を尊重し、
羽生選手自ら答えをだすように導いた羽生秀利さん。
羽生選手もこの自分で決断したという事が
どんなに苦しい中でも自分を支え頑張ってこられた原動力だと思いますね。
また羽生秀利さんは羽生選手の応援を陰ながら支えています。
・羽生選手がフィギュア練習に熱中するあまり、帰宅が深夜になる際には
いつも車で迎えに行っていたのが秀利さんだったそうです
・羽生秀利さんは決して羽生選手のスケートには口を出さなかったそうです。
むしろ、一歩下がって『よく頑張っているね』的な見守りに終始していたそうです。
このような支えがあり
羽生選手が最近コメントするようになった
「僕は自分のためだけに滑ってるんじゃない」
という感謝の考えに行き着くのでしょう。
羽生秀利さんも羽生選手の自主性を尊重する中で、
羽生選手がフィギュアスケートを進めていけるのは
多くの周りの方の支援のおかげであることを
背中で語り伝えていたのでしょう。
また、平昌オリンピックで金メダルと獲得した時に
羽生選手の唇の動きはいつも
「ありがとうございました!」
でしたね。
引用:https://fact2003.com/diary/
常にその言葉を口にして感謝の気持ちを忘れない
羽生選手は本当に素晴らしい人格者だと思いますね。
羽生秀利さんもさぞや羽生選手の成長を
嬉しく感じているのに違いありませんね。
66年ぶりのフィギュアスケート2連覇を達成し
国民栄誉賞の羽生選手ですが
羽生秀利さんの存在とその教育が
羽生選手のスケートひいては人生において
大きな岐路と導きになっていたことがよくわかりました。
今後も輝きを増す羽生選手。
お父さんの教えを羽生選手なりのパフォーマンスで
体現してくれる事をますます楽しみになってきました!
頑張れ羽生選手!
最後までお読み頂きありがとうございました。
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いま利府西中ですよ、羽生パパは。