
車いす天才宇宙物理科学者のホーキング博士が
亡くなられたというニュースが飛び込んできました。
病名と死亡理由を調べてみました。
ホーキング博士のプロフィール
1942年:イギリスオックスフォードで生まれる。
1950年:ロンドン北部のハイゲートから、セント・オールバンズ市に引越す。
1957年:オックスフォード大学、ユニバーシティカレッジ入学。ボート部に所属。
1962年:オックスフォード大学卒業。ケンブリッジ大学大学院、応用数学・理論物理学科に入学。
1963年:検査で「筋萎縮性側索硬化症」と診断される。
1965年:ジェーン・ワイルドと結婚する。ペンローズと共同で、「特異点定理」発表。
1966年:ケンブリッジ大学トリニティー校で学位取得。
1967年:論文「特異点と時空の幾何学」でアダムズ賞受賞。長男のロバート誕生。
1970年:長女のルーシー誕生。
1974年:「ブラックホールの蒸発理論」発表。ロンドン王立協会フェロー(FRS)に選出される。
1975年:業績を讃えられ、ローマ教皇庁から「ピウス11世メダル」を授与される[5]。
1977年:ケンブリッジ大学の教授職を得る。
1979年:ケンブリッジ大学、ルーカス教授職に就任。次男・ティモシー誕生。
1983年:ジェームズ・ハートルと共同で「無境界仮説」[6]発表。
1988年:『ホーキング、宇宙を語る』を出版。発行部数が全世界1000万部、日本110万部を超えるベストセラーになる。
1991年:「時間順序保護仮説」を提唱。ジェーン・ワイルドと離婚する。
1995年:看護師のエレイン・メイソンと再婚する。
2001年:東京大学安田講堂にて一般講演を行う。
2006年:香港にて一般講演を行う。
2007年:アメリカ合衆国でのゼロ・グラビティー社の専用機「G-フォースワン」に搭乗し、車いすから離れ無重力体験を行う。
2009年:ケンブリッジ大学の教員退職規定により9月の学年末に大学を退任。退任後もケンブリッジ大学に留まり、応用数学と理論物理学部の研究責任者を務め、研究活動を続けるという。大統領自由勲章叙勲。
2011年:エレイン・メイソンと離婚する。
2016年:ロシアの富豪でベンチャー投資家のユーリ・ミルナーと共に、アルファ・ケンタウリまでレーザー推進の小型探査機を送るスターショット計画を発表。
2018年:76歳で死去
引用:wikipedia
ホーキング博士の病名は?
ホーキング博士は
筋萎縮性側索硬化症(きんいしゅくせいそくさくこうかしょう:ALS)
という病気です。
筋萎縮性側索硬化症(ALS)とは、
手足・のど・舌の筋肉や呼吸に必要な筋肉が
だんだん衰えて、力がなくなっていく病気です。
しかし、ALSは筋肉そのもののが弱っていくのではなく
筋肉を動かす神経(運動ニューロン)の機能障害です。
その結果、脳から「手足を動かす」神経の伝達命令が
伝わらなくなることにより、筋肉力が動くことがなくなり、
筋肉が次第に衰えていきます。
このALSは筋肉だけに限定される病気で、
体の感覚、視力や聴力、内臓機能などは
すべて正常に保たれていることが特徴です。
なのでホーキング博士は三人の子どもを授かりました。
性的機能は全く健全だと言うことです。
今回は、ホーキング氏の元妻、
ジェーン・ホーキングの回顧録を映画化した
『博士と彼女のセオリー』映画の中のセリフでは、
「(生殖器の機能は)システムが違うんだ」
と言っていました。
ALSの原因と治療方法は現時点で確立されていません。
ALSは進行性の病気で、一旦発症すると、
良くなることはないとされています。
最後には呼吸器の筋肉(呼吸筋)が衰え
呼吸不全を引き起こして事が多いようです。
多分、呼吸不全による死亡と考えられます。
筋萎縮性側索硬化症(ALS)においては
2014年夏に「アイスバケツチャレンジ」で
注目を集めたことが記憶に新しいですね
アイスバケツチャレンジとは
氷の入ったバケツの水をかぶった人が
知り合いの人を指名できるという
ALS治療研究のための募金運動でしたね。
同じような病気で“筋ジストロフィー”という病名があります。
筋ジストロフィーは、
筋肉自体が弱まっていき身体が動かなくなっていきます。
つまり、神経系の病気ではないのです。
また、筋ジストロフィーは先天性の病気と言われる一方、
ALSは後天的な病気と言われています。
天才物理学者が亡くなられた事を
心からお悔やみ申し上げます。
最後までお読み頂きありがとうございました。
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